MESSAGE
Lifestyle inspiration from TOMIOKA
東京から一番近い関東の世界文化遺産「富岡製糸場」のある街 富岡
全国から集まった女性たちによりここで作られた生糸がヨーロッパやアメリカに輸出された。
富岡製糸場の建物を支える木材が切り出された妙義山は、廃仏毀釈により修験道の文化が失われた。
富岡市は開国とともに大きく変化したライフスタイルを知ることができる場所。
古くて新しい富岡のライフスタイルを是非知ってください。
MOVIE
富岡市を動画でご覧いただけます。
AREA
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東京から車で2時間、軽井沢からは1時間の場所にある群馬県富岡市。
明治時代、生糸を作り世界に輸出して近代化の原動力となりました。
活躍したのは全国から集まった女性たち。近代日本初のキャリアウーマンとして良質な生糸を作る一方で、休日には街に繰り出すこともあり、当時最新の流行に触れていました。
開業時から約150年ほぼ姿を変えずに建つ富岡製糸場を支える木材は、日本三奇勝の1つ妙義山から切り出されたものも使われています。登山客に人気の山は古くは山伏が集う信仰の山でした。
近代化をきっかけに大きく変化した「富岡製糸場の暮らし」と「妙義山の暮らし」。どちらも今も街を歩くと当時の暮らしを感じる事が出来ます。
HISTORY
日本の近代化の原動力として世界に輸出する良質な生糸を作るため、全国から集まった女性たち。
「工女」と呼ばれた彼女たちは熱い想いで懸命に技術を学びつつ、最新の流行を楽しみ、富岡で多くのことを吸収し、新しい文化の一端を担いました。
今は失われた工女の暮らし。ただ、今も街中を歩くと富岡製糸場を支えた彼女たちの暮らしの面影が残っています。
TOPIC
富岡製糸場の魅力は人にあり
約150年前、山と河川に恵まれ農村地帯だった富岡に突如建設された富岡製糸場。
当時世界最大級の製糸工場の働き手は日本全国から集まった女性たちでした。
遠くは北海道や九州から訪れた彼女たちは「いつか地元に帰り、自分が製糸の指導者になる」という熱い想いを抱き、懸命に技術を磨きました。
その結果、富岡製糸場では世界水準の生糸が作られ、ヨーロッパやアメリカに輸出されることにより、日本経済発展の原動力となりました。
工女と共に育まれた富岡の新しいライフスタイル
「工女」と呼ばれた女性たちは、政府主導の時代に「寄宿舎制度」「1日3食提供」「週1日完全休暇」「夏期休暇と年末年始休暇」が整えられた富岡製糸場で懸命に働き、充実した日々を過ごしました。 彼女たちは休日や祭りの際に街中に繰り出すこともあり、娯楽を楽しんでいたようです。富岡製糸場を中心に形成された富岡の街には飲食店、喫茶店や映画館など当時最新の流行が持ち込まれ、現在の富岡の街並みの原型が生まれました。
街を歩き歴史を感じて欲しい
昭和の時代に操業が終わり、同時に失われた女性労働者の生活。 しかし、富岡製糸場の周辺には同時期に建てられた長屋を利用したカフェや当時の工女たちが眠るお寺があり、また当時の工女たちに見立てた着付けが出来る呉服店など、当時の生活に触れられる場所が多く存在します。 日本初の官営模範製糸工場として建てられ、日本の経済発展の原動力となった富岡製糸場を支えたのは、機械だけでなく、熱い想いを持って集まった女性たちです。 是非、彼女たちのことを知った上で富岡の街を歩いてみてください。
富岡製糸場の魅力は人にあり
約150年前、山と河川に恵まれ農村地帯だった富岡に突如建設された富岡製糸場当時世界最大級の製糸工場の働き手は日本全国から集まった女性たちでした。 遠くは北海道や九州から訪れた彼女たちは「いつか地元に帰り、自分が製糸の指導者になる」という熱い想いを抱き、懸命に技術を磨きました。 その結果、富岡製糸場では世界水準の生糸が作られ、ヨーロッパやアメリカに輸出されることにより、日本経済発展の原動力となりました。
工女と共に育まれた富岡の新しいライフスタイル
「工女」と呼ばれた女性たちは、政府主導の時代に「寄宿舎制度」「1日3食提供」「週1日完全休暇」「夏期休暇と年末年始休暇」が整えられた富岡製糸場で懸命に働き、充実した日々を過ごしました。 彼女たちは休日や祭りの際に街中に繰り出すこともあり、娯楽を楽しんでいたようです。富岡製糸場を中心に形成された富岡の街には飲食店、喫茶店や映画館など当時最新の流行が持ち込まれ、現在の富岡の街並みの原型が生まれました。
街を歩き歴史を感じて欲しい
昭和の時代に操業が終わり、同時に失われた女性労働者の生活。 しかし、富岡製糸場の周辺には同時期に建てられた長屋を利用したカフェや当時の工女たちが眠るお寺があり、また当時の工女たちに見立てた着付けが出来る呉服店など、当時の生活に触れられる場所が多く存在します。 日本初の官営模範製糸工場として建てられ、日本の経済発展の原動力となった富岡製糸場を支えたのは、機械だけでなく、熱い想いを持って集まった女性たちです。 是非、彼女たちのことを知った上で富岡の街を歩いてみてください。
TOURS
富岡製糸場の暮らし
日本の近代化の担い手として活躍した富岡製糸場の工女たち。彼女たちは富岡で新たな文化に触れ、新しいライフスタイルの一端を担いました。
彼女たちは富岡の街でどのように過ごし、富岡製糸場でどんなことを学んだのか。
普段の観光では見えてこない「富岡製糸場の暮らし」を専門ガイドと一緒に巡りませんか。
体験ツアーを開催
所要時間:6時間半
実施人数:1〜10名
集合場所:上州富岡駅
必要な持ち物:特になし
備考:希望地までの送迎可能 ※別途費用
HISTORY
富岡製糸場が登場した明治時代に廃れてしまった山伏の文化を今も至るところで見つけることが出来ます。
妙義山を登るなら当時の山伏と同じく自分自身と向き合う時間になれば幸いです。
TOPIC
登山の名所は信仰の山だった
日本三奇勝に数えられる山「妙義山」は、難所が多く荒々しい岩肌が特徴的です。多くの登山愛好家が訪れる山は江戸時代には山伏で賑わいました。 妙義山周辺の人々は古くからこの岩山を朝夕拝み、いつしか信仰が生まれました。山の麓に鎮座し約1,500 年の歴史を持つ妙義神社には天狗の飾りなどが残り、山伏がいた事を示しています。富岡製糸場が誕生するまでの時代ここは山伏が修行の為に集まる山だったのです。
山伏にとって山は「自分を見つめ直す」修行の場
特別な衣装を身に纏って法螺貝を吹きながら山を歩くイメージがある山伏。1000 年以上の歴史を持つ日本独特の宗教「修験道」の修行者であり、江戸時代には 17 万人いたとされる日本人にとって縁が深い存在でした。 山伏にとって「山を登る」ことは自分の煩悩を打ち消し、困っている人達に手を差し伸べられる強い自分を作ることが目的でした。だからこそ、険しい山を求め妙義山にも訪れたのでしょう。
山を登り失われた歴史を見つけに行こう
明治時代に姿を消していった山伏。しかし、妙義神社の山門は仏教建築だったり、飾られた天狗の面や宝物館の仏像など妙義山の至る場所にその面影が残っています。 そして山の中腹にある「大の字」は「大日如来を祀っている」目印であり、古くから山伏や地元の人々もここを目印に遥拝していたようです。 山伏の考え方はとても長い歴史があり、自然と共生するライフスタイルは今の時代にも強く影響を与えています。妙義山を登るならレジャーとして楽しむだけでなく、山伏と同じく自分自身を見つめ直す時間になれば幸いです。
登山の名所は信仰の山だった
日本三奇勝に数えられる山「妙義山」は、難所が多く荒々しい岩肌が特徴的です。多くの登山愛好家が訪れる山は江戸時代には山伏で賑わいました。 妙義山周辺の人々は古くからこの岩山を朝夕拝み、いつしか信仰が生まれました。山の麓に鎮座し約1,500 年の歴史を持つ妙義神社には天狗の飾りなどが残り、山伏がいた事を示しています。富岡製糸場が誕生するまでの時代ここは山伏が修行の為に集まる山だったのです。
山伏にとって山は「自分を見つめ直す」修行の場
特別な衣装を身に纏って法螺貝を吹きながら山を歩くイメージがある山伏。1000 年以上の歴史を持つ日本独特の宗教「修験道」の修行者であり、江戸時代には 17 万人いたとされる日本人にとって縁が深い存在でした。 山伏にとって「山を登る」ことは自分の煩悩を打ち消し、困っている人達に手を差し伸べられる強い自分を作ることが目的でした。だからこそ、険しい山を求め妙義山にも訪れたのでしょう。
山を登り失われた歴史を見つけに行こう
明治時代に姿を消していった山伏。しかし、妙義神社の山門は仏教建築だったり、飾られた天狗の面や宝物館の仏像など妙義山の至る場所にその面影が残っています。 そして山の中腹にある「大の字」は「大日如来を祀っている」目印であり、古くから山伏や地元の人々もここを目印に遥拝していたようです。 山伏の考え方はとても長い歴史があり、自然と共生するライフスタイルは今の時代にも強く影響を与えています。妙義山を登るならレジャーとして楽しむだけでなく、山伏と同じく自分自身を見つめ直す時間になれば幸いです。
TOURS
妙義山の暮らし
古くから信仰の山として慕われた妙義山。
多くの山伏が修行のために山に入り、自分と向き合う時間を過ごしました。明治時代に入り失われてしまった妙義山の暮らし。
この山でどんな文化が育まれたのか、専属ガイドに教えてもらいながら山伏と同じように妙義山を登りませんか?
体験ツアーを開催
所要時間:3時間半
実施人数:1〜10名
集合場所:東雲館
必要な持ち物:登山する格好
備考:希望地までの送迎可能 ※別途費用